ドレミで歌う

ラミミシララミララシラーと言えば音符を読む人にはすぐわかる。シャープやフラットが無いのでハ長調かイ短調で大体間違いない。でもこれは、調が変われば、ドソソレドドソドドレドーでも同じだ。今、急に思い出して歌ってみたのだけれど、もう一回、ラミミシララミララシラー、と歌ってみる。京都に行きたくなるJRの古いCMを思い出しながら歌ってみても良いだろう。そうすると、Recitativoから少し変化してリズムを取って、ラミレラシソソレドファーー、ミファソラシドレミレソ#ーー。

僕は小学校二年生の時、音楽の時間で楽譜を知って、ビビッと来た。楽譜に引き込まれて自分で調べて行った。ゆっくりであれば読めるようになった。楽譜を読むことが、本を読むように楽しくなるのはもっと後のことだけれど、楽譜は、僕の人生の中で次第にそして確実に重要なものとなった。オーケストラのスコア(全ての楽器の音符がくまなく記されている楽譜!)を買って読んでいると、レコードを聞くような心地よい感覚を得ることができるようになってきた。自分の好きな音楽にして、心の中で音を鳴らして一人で楽しむこともできた。

子供の頃は、プロの音楽家はみなそういうことができるものだと思っていた。オーケストラのスコアを、あたかも本を読むようにさあーっと読んで、音として聞くよりも多くのイメージを得られるのだと。子供の頃は、プロの演奏家は僕の及びもつかないくらい、もっと深く楽譜を読むものと信じていた。

勝手に信じ込んでいたので、音楽家ってすごいなぁと一方的に思っていたわけである。しかし、それは違うのではないかと思うようになってきた。僕は高校生の頃に和声・対位法と指揮法を習っていたのだけれど、その先生は僕の書いていった楽譜をさぁーっと読んで、ここの部分が良いとか悪いとか言う。その後で僕が書いてきた楽譜を再び僕に返してから、彼はピアノで弾いてみせる。それがプロだと思っていた。今思えばこれはごく単純な演習であって、囲碁のできる人がパッと形を見て、これは死にそうとか言うのと同じようなものだ。ま、これはこれですごいということか。

音楽のプロといっても、純粋に楽譜を見るだけで瞬時に完璧な読解を必要とする職種はそう多くない。声楽家は、歌が上手くて声が良ければ良いのであって、さらに顔かたちが良ければ申し分ない。楽譜をいくら巧みに読めるからといってさほど多くの利点は得られないのではないか。ロックやジャズだって、楽譜はあまり重要ではない。楽譜を読む能力について言えば、大体、声楽家の中では百人に一人くらい、ピアニストの中では十人に一人くらい、作曲家の中では、五人に一人くらいの割合で、楽譜を読める人がいると思っている。(もちろん皆読めるのだが、楽譜だけで和声を含めた音楽の全体像を具体的にイメージできるだけの読解力があるという意味で言っている。)これは、僕の勝手な思い込みによる数字である。

今ではインターネットで言葉は何でも検索できるけれども、楽譜ではなかなか検索ができない。メロディで検索できないんだな。ラジオやお店でかかっている音源からアーティスト・曲名を自動判別するアプリも便利なので時々使うけれど、これはこれでまた不思議なんだな。(何だか野崎孝訳のサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」みたいになっちゃったな)

僕はカラオケも楽譜が出てくれば何でも歌えて楽しいのにと思っている「少数派」であり、メロディはすぐ覚えられても歌詞があまり覚えられないというのが「弱点」である。だから、メロディを思い出しても、歌のタイトルがなかなか出てこない。楽譜があれば便利なのにと、いつも思っている。楽譜が好きなんだな。これ以上書くとデイヴィッド・カパーフィールドみたいになっちゃうから止めておくけど、音楽は録音や楽譜を経由してやってくるけれども、結局のところ、音楽は音楽そのものなんだな。と、ちょっと謎めいてきた。空間に鳴り響く音楽もあれば、楽譜で読む音楽もある。